日米韓戦後同盟の終了

先日の読書会で一部話題になりました日韓関係の問題で、明快な解説に出会いましたので下記に記事を引用させてもらいます。

 なお、文在寅についてお知りになりたい方は彼が大統領になる前に書いた自伝『運命』が参考になります。また映画ですが、弁護士時代の同僚で大統領だった盧武鉉をモデルにした『弁護人』も参考になります。韓国の民主主義運動の最先端を走ってきた2人が共に大統領になっている韓国。盧武鉉は非業の死を遂げていますが。文在寅政権は革命政権です。下記の古谷有希子氏が指摘しているように、日本で言えば大日本帝国憲法を否定して成立した日本国憲法体制になったようなものです。安倍政権はこの逆を目指しているわけですからぶつからないわけはありません。

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(1)日韓関係の悪化は長期的には日本の敗北で終わる
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyayukiko/20190817-00138706/
古谷有希子

韓国はなぜ対日関係を悪化させるようなことをするのか?
8月15日は日本では終戦忌念日として認識されているが、韓国では光復節、つまり独立記念日である。韓国のアイドルグループBTSのメンバーが身に着けていた光復節記念のTシャツに原爆のイメージがプリントされていたことが日本で物議を醸したのは記憶に新しい。

韓国の人々にとって、日本による植民地支配というのは「歴史」ではなく、今も続く忌まわしい記憶であり、いつかまた起こるかもしれない可能性の問題でもある。

いつかまた同じ屈辱を味わう羽目にならないように、過去を記憶し続け、警戒し続け、少しでも問題があると考えれば早めにその芽を潰しておく、それが韓国の人々の大日本帝国による植民地支配への基本的な態度である。

日本では韓国の人々のそうした態度や社会的雰囲気は、民族主義を押し出した国ぐるみの反日教育によってなされていると考えがちだが、そもそもこうした歴史観は政府主導で生み出されたものではない。

日本で「反日」と考えられている親日清算問題は、80年代以降の軍事独裁の終焉、民主主義運動、民主主義社会の醸成によって、民衆やリベラル知識人たちが真実を求める声として強まったものである。

彼らは、独裁政権が「親日派」「親日行為」の問題を明らかにせず、日本に対する十分な責任追及をすることなく、国民に真実を隠した状態で植民地問題を「金で解決」したことそのものを、問題視してきた。

民主化以降、韓国ではNGONPOによる草の根市民運動が盛んになり、市民社会の発展が目覚ましい。市民社会の発展は、人権、個人の権利、女性の権利などに対する意識の高まりをもたらした。

こうした市民運動の広がりは、韓国社会における植民地支配の再認識にも寄与した。

一般市民に隠匿されていた歴史の真実を求めるとともに、植民地支配当時は強く認識されることの無かった事象を、ポストコロニアルな視点から再発見し「過去清算」する意識が韓国社会に根付いていった。

そして、人権の回復、履行を求めて、国内外の政府、企業、団体を相手取った裁判が頻繁に起こるようになった。

民主化の流れを汲んで「過去清算」を希求する新たな歴史認識の台頭は、植民地支配について「日本が悪かった」といった単純な理解から脱却し、なぜ植民地支配が起こったのか、植民地支配とはどのようなものだったのかを、政治・経済・社会・文化など様々な側面から分析し、過去を断ち切り、民主社会韓国として新たな時代を迎えようという動きでもあった。

端的に言って、韓国の人々にとって、民主化前と後では国家自体が全く異なる存在なのである。

それは多くの日本人が、大日本帝国と戦後の日本を全く異なる存在として認識している感覚とも似ている。あるいは、徳川幕府下の日本と明治以降の日本くらい違うと言ってもいいかもしれない。

このことを理解していれば、なぜ現在の韓国政府が日韓基本条約締結以降、日韓政府の間の共通認識となってきた請求権協定に対して、それを覆すような態度を取るようになったのかも理解しやすい。

喩えるなら、日米修好通商条約が現在のアメリカと日本の間では全く無効であるのと似たようなものである。

国民によって選ばれ、国民を代表する政府が取り交わした条約でないものが、現在の民主国家としての韓国の人々にとって受け入れられないのも、感情としては当然といえるだろう。

さらに、民主化によって新たな権利意識を持ち、植民地支配についてもより構造的な問題を扱うようになった韓国社会が、軍事独裁下で国民の多くに真実を隠す形で締結された条約に違和感を持つのも自然ななりゆきである。

そして、民主主義国家である以上、社会・市民の変化が司法・行政・立法府に反映されるのも当然である。

民主化運動を経て、民主主義に基づいた市民社会への歩みを進めたことで、歴史問題に対して歴史修正主義的態度を改めてこなかった日本に具体的な変化を求めるようになった結果、日本側から見れば「対日関係を悪化させる態度」を取るようになったのである。

韓国はなぜ今になって強気に出ているのか?
一方、韓国の民主化は1980年代になされたもので、韓国政府の態度の変化によって2000年代後半から日韓関係が大きく変化するまでに20年もの時間が空いている。

それまでも歴史問題で軋轢のあった日韓両国だが、それが両国関係に深刻な影響を与えるようになったのは2000年代に入ってからである。

具体的には、韓国政府が個人請求権は消滅していないとの認識を示すようになったのが、2005年の廬武鉉政権下であった。

韓国の態度の変化には、前述した韓国社会の民主化のほかに、1)日本の重要性の低下、2)日本の政府要人の度重なる歴史修正主義的発言・態度、という二つの側面が影響している。

民主化以降の20年の間に、韓国の国際競争力の上昇と日本の国際競争力の低下、そして韓国にとっての日本の相対的重要性が低下した。

植民地下の朝鮮が日本経済と強く結びつき、解放後もその影響が強く残っていたのは当然のことだが、朝鮮戦争の停戦、日本との国交回復を経て、60年代から70年代の韓国にとって、日本は貿易対象国としても、また国家の発展モデルとしても重要な存在であった。

だが、韓国にとっての日本の重要性は時を経て徐々に下がっていく。

1960年の貿易対象国の中では、日本は輸出の約6割を占めていたが、1975年には25%、1985年には15%、そして2005年には8%にまで下がっている。

また、輸入においても日本は1960年には21%、その後70年代は30%を維持するも、80年代から90年代までに20%台に下がり、2005年には19%を切っている。(出典:吉岡英美(日韓経済関係の新展開ー2000年代の構造変化を中心に(韓国語)))

また、韓国に対する外国人投資の推移においても、70年をピークに日本人(日本法人)による投資は徐々に下がり続けている。(同上)

2000年代以降は貿易相手国として中国の台頭が目覚ましく、日本の存在感はますます霞んでいった。

日本の経済的重要性が低下しても、日本の政治家は一貫して歴史修正主義的な発言を繰り返してきた。

侵略と植民地支配を肯定し、戦犯のまつられる靖国神社に参拝し、従軍慰安婦被害者を侮辱し、サンフランシスコ講和条約以降の国際秩序の土台を揺るがすような発言を平然と口にする政府要人が後を絶たない。

いくら公式談話で謝罪を口にしても、いくら補償・賠償として金銭を提供しても、こうした発言・態度を示す政府要人(首相含め)が罰されることもない日本を信用しろと、被害国であり、被害者が生存している韓国に求める方が無理な話である。

教科書問題、靖国参拝問題など、日本の政治家によって繰り返される歴史修正的な発言や態度について、当時の廬武鉉大統領は強い批判を行った。

また、従軍慰安婦問題や徴用工問題などの植民地支配における問題については、人権派弁護士、草の根市民運動のバックグラウンドを持つがゆえに、人権問題としての側面からのアプローチに大きく舵を切った。

現在の文在寅大統領も民主化運動、人権運動をバックグラウンドとする運動家であり、廬武鉉元大統領の側近であった。廬武鉉元大統領と同様に、人権派弁護士、民主化運動家として従軍慰安婦問題や徴用工問題を取り扱おうとしていることは明白である。

しかも、歴史問題で日本との軋轢を避けるために司法に不当な介入をしたとされる朴槿恵前大統領、さらにその前の李明博元大統領と、いずれも不正によって逮捕された保守・右派の大統領の次を担うリベラル・左派大統領として、市民の期待も大きい。

人権派弁護士、市民運動家というバックグラウンドを持ち、それを前面に押し出してリベラル・左派大統領として選ばれた以上、人権問題としての従軍慰安婦問題や徴用工問題において「正しい発言」「正しい態度」を取らないわけにはいかない。

しかも、三権分立の制度下において、司法の決定を行政が覆すことは不可能である。

司法が個人請求権を認めた以上、政府はその決定に従うほかない。

日本の政府要人が繰り返す歴史修正主義的発言の裏にあるのは植民地主義的差別心
戦後、日本の政府要人は歴史修正主義的発言や態度を繰り返してきた。

韓国はそのたびに反発してきたが、2000年代以降韓国が日本に対して強気な態度を取る後押しとなっているのは明らかに、韓国にとっての日本の重要性が低下したこと、韓国自体が日本の競争相手として台頭してきたこと(もはや一人当たりGDPは3000ドル程度の僅差に迫っている)、またソフトパワーにおいては日本をしのぐ世界的な存在感を示し始めていることなどが挙げられる。

日本政府はこの問題については静観しつつ、政府要人が歴史修正主義的発言や態度を行って韓国をこれ以上刺激しないように注意深く静観し続けるのが正解だったのではないだろうか。

だが、繰り返される日本の政治家の歴史修正主義的発言の裏には、結局のところ植民地主義丸出しの韓国・朝鮮(韓国人・朝鮮人)に対する差別意識がある。

「韓国ごとき」「日本より格下」といった意識があるからこそ、対等な相手として、無用に刺激してはならない相手としてではなく「馬鹿にしていい相手」「何してもやり返せない相手」として扱い続けてきたのである。

その認識を改めない限り、日本はいつまでも韓国を相手に歴史問題で先に進むことができない。

時代は移り、世界の中での韓国の地位が上がる一方で日本の地位が下がり、両国は対等に向き合うべき相手となった。

たとえ貿易戦争で一時的に国民をスカッとさせるような結果を得ても、歴史修正主義に立った「歴史戦」は日本の外から見れば明らかに日本の劣勢であり、長期的に見れば勝ち目のない戦いである。

韓国側に何も問題が無いとは言わないが、国民をスカッとさせるのが外交政策としてまかり通るなら、それは民族主義に踊らされたポピュリズムにすぎない。


(2)GSOMIA終了:韓国における日米韓安保体制の価値の低下

古谷有希子
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyayukiko/20190826-00139787/

 

前回の記事に続く形でこの記事を執筆していたのだが、韓国がGSOMIA終了を発表したので、韓国に関する考察よりも日米韓関係に関する考察を中心に論じる。

前回の記事では、韓国が日本への態度を覆すような態度を取るようになった経緯について、韓国の民主化市民社会の発展、経済力の向上が韓国の人々の心情に変化を与えたという点から論じた。

特に根本的な要因として、民主化前後の韓国が韓国の人々にとっては戦前戦後の日本、もしくは明治維新前後の日本くらい違うものであること、日韓基本条約がその内容を韓国民に秘匿した状態で結ばれたものであったこと、そして日本の政府要人が歴史修正的言動を繰り返してきたことを挙げた。

日本から見ると日韓基本条約を違えるかのような態度に見える韓国だが、実際のところ請求協定含めて条約改正の意思は示していない。

行政が請求権を否定してきたのに司法が一部の個人賠償請求権は消滅していないという決定を下したのは、韓国の三権分立が日本以上に強く機能しているためだが、その司法も認めているのは人道問題に関わる一部分にすぎない。

法解釈によって国民の新たな要求に答えようとする司法に対して、韓国政府は日本との関係は現状を維持しつつ司法の決定を受けて日本と共同で解決策を模索しようとしていたのだが、日本政府は韓国が態度を覆し、約束を違えたと捉えた。

しかし、国家体制が変わるとともに条約など、国家間の取り決めを改正するのは珍しいことではない。

例えば国家間の債務について、Odious debt(汚い負債)という考え方がある。

旧植民地における旧宗主国発展途上国独裁政権下で独裁者が作った借金に対して、体制が変わった後の新政府とその国民が返済義務を負うべきなのかを問うコンセプトだ。

国民の意思が反映されない政府が作った国民に対する利益も定かでない負債を、新政府とその国民に求めるのはフェアではないとの考えに基づく理論である。

体制が変わるとともに新政府が国民に不利益となる債務の返済額や返済方法、不平等条約の改正などの交渉を行うのは、新政府が国民に負う義務であると考えることもできる。

国によっては大統領が交代したことをもって、一方的に債務をデフォルトするようなケースもあるが、これは国際法上の慣習を大きく逸脱していると見なされるだろう。

また、一時のナショナリズムにかられて国交に関わる条約を破棄して窮地に陥った国もある。

戦後の日本と韓国の場合、独裁政権側だった韓国が一方的に不利益な負債を負っているわけではなく、日本から提供された補償金や円借款は確かに韓国の発展に貢献したのでOdious debtの理論は当てはまらない。

だが条約によって明らかに不利益を被っている人たちがおり、しかもこの条約が独裁政権によって国民に内容が秘匿された状態で結ばれたという点を考慮すれば、韓国政府は体制転換とともに条約改正の道を模索すべきだった。

日本もそこで対応していれば、歴史問題についてここまで両国がこじれることもなかっただろう。

日韓両国の戦後レジーム
ではなぜ韓国は植民地支配について大きな禍根を残すこととなった日韓基本条約民主化後もそのまま維持してきたのだろうか。

それは、長らく日韓両国が戦後レジームに縛られてきたからだ。

第2次安倍内閣発足当初、安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を主張していた。

彼の言う「戦後レジーム」とは日本が侵略したアジア諸国、とりわけ中韓に謝り続け、先制攻撃を含む戦争を禁じる憲法9条の存在という二点に尽きる。

だが日本の戦後レジームとは本来、敗戦後にCIAの援助を受けた岸信介をはじめ、米国の援助の下で自民党という米国の傀儡政権が冷戦構造の下ほぼ一貫して権力を掌握し続けてきたことだ。

現在も、元A級戦犯であり、戦後は国をアメリカに売り渡したとも言える岸信介の孫が世襲よろしく政権を取っている。

しかも、せっかく明治以降、米国との不平等条約を改正し、戦後結んだ新条約では両国関係は対等になったのに、安保体制の下に実質的不平等条約を結んでしまった。

こうした状態こそ日本の戦後レジームが現在も続いていることを示している。

同様に、解放後の韓国では米国の支援を受けた李承晩大統領が誕生し、朝鮮戦争後も冷戦構造の下、ますます米国の影響が強まった。

日韓の国交回復自体、米国の仲介無しにはなしえなかった。

軍事独裁の朴正煕政権下で日韓国交回復による「65年体制」という日米韓の連携という米国主導の安保体制が成立し、それを維持することは冷戦下の日本と韓国にとって国防上の至上命題となった。

米国の傀儡政権であり続けた自民党の日本は勿論、韓国の軍事独裁政権も民主化後の政権も、長らく米国に逆らうことは無かった。

だからこそ日韓基本条約も何も手を加えられることなく維持され続けたのである。

今さら条約を改正することは考えにくいが、法解釈を変えてきたことは韓国の対外政策の変化でもある。

韓国政府は、90年代になって明らかになった朝鮮戦争時の米軍による韓国人虐殺事件や戦後の民間人殺傷事件に対して正義を求める国民の声の高まりに対応し、米国と根強く交渉し続けてきた。

元々は日米地位協定よりも不利だった韓米地位協定も、今では在留米軍の犯罪に対して日本政府よりも韓国政府の方が強い立場にある。

日本では「韓国人は反日だ」と捉えられているが、韓国の人々は日本だけでなく米国に対しても、また自国政府に対しても、必要とあれば厳しい目を向けてきた。

日本が数十年間も安保体制による不平等な日米関係に囚われている間、韓米関係は徐々に変化していったのである。

韓国のGSOMIA終了は日本に対する報復としてだけでなく、米軍基地に対する負担増を毎年要求するトランプ政権に対する応酬でもあると見るべきだ。

韓国が国防を米国に頼り切る体制を脱し自主外交の道を模索しようとしているのは明らかだが、こうした傾向は左派あるいはリベラル政権の時に特に如実に現れる。

右派保守政権だった朴槿恵政権下で締結されたGSOMIAを数年もせずに破棄すれば、米国の困惑と怒りは必至だが、文政権は日本への対抗処置としてそれをあっさりと決定した。

もはや米国でさえ韓国を押さえつけることはできなくなっているのは、東アジアにおける米国の影響力の低下を如実に表している。

また、韓国の左派にとって日米韓の連携による安全保障は、日本と米国が考えているほどには高い重要性を持っていないということも今回の決定を後押ししたと考えられる。

二週間前の調査では、韓国人の48%が政府にGSOMIA終了を支持している。(ハンギョレ新聞:http://m.hani.co.kr/arti/politics/assembly/904841.html#cb(韓国語))

政治制度としての民主主義の限界
残念なことに、選挙も政治も、国益や国民の実益のためだけに機能するシステムではない。

政治制度としての民主主義の限界とも言えるが、国民はしばしば自己の利益よりもイデオロギーに投票し、自己の利益や国益を損なう政治家を当選させてしまう。

そうして選ばれた政治家は国益や国民の利益ではなく、再選や支持率のための分かりやすいシンボル的行動で人気取りを図る。

日本政府は「歴史戦」の報復として安全保障上の「信頼」を理由に貿易戦争を始めるという、国際的に見ても前例の無い行動を取った。

「歴史戦」を安全保障と貿易の問題に持ち込んだことで、韓国の信頼を失い、日米韓の連携という安全保障体制の土台を揺るがした上に、韓国に歴史問題での徹底抗戦を決意させてしまった。

一方の韓国はGSOMIA終了に際して、韓米関係の一層の強化と米軍基地の負担増に言及しているが、それは国民に負担増を強いる決定だ。

歴史問題で日本と戦い続けるために国民に負担増を強いるのは本末転倒だが、今回の決定は韓国政府が国益よりもシンボリックな対日関係での強硬姿勢を取り続けることを重視していることを意味する。

日韓両国ともに政治制度としての民主主義の限界に直面しているのは明らかだ。

だが、韓国の今回の行動によって米国は日韓の歴史問題と貿易戦争の問題に仲介せざるを得なくなった。

韓国は米国を利用することで問題解決を図ろうとしている。

前回からの繰り返しになるが、米国も含め国際世論は日本の歴史戦に批判的だ。

歴史問題で米国が日本の肩を持つことはまずない。

米国が介入してくれば、日本は貿易による歴史戦を中断せざるを得なくなり、面子を失う。

これまで米国の言うことにはなんでも従ってきた自民党政権が、この問題でだけ米国の圧力と戦うとは思えない。

韓国では政府の歴史問題をめぐる対応に対して世論が分かれ、メディアでも政府に批判的な意見が少なくないのに対し、日本では政府に対する批判的論調が弱く、また少ない。

日本のメディアは日本が貿易を安全保証の問題にすり替えて「歴史戦」を貿易に持ち込み、日米韓の連携という安全保障体制を危機に陥れた責任をしっかりと問うべきである。

 

経済社会学、グローバリゼーション論を軸に、社会階層、ジェンダー、職業教育、労働市場問題、移民政策の研究に従事。東京大学大学院総合文化研究科で東アジア外交史、朝鮮近代史を専攻したのち、ビジネスコーチとして勤務。2011年に渡米し、メリーランド大学公共政策大学院で社会政策、教育政策を修め、ジョージメイソン大学社会学研究科博士課程に在学中。