MMTに強い違和感を感じざるをえない2つの理由

 <エコノミスト・村上尚己氏の記事、7月26日東洋経済ONLINEから転載>

  アメリカで経済論争を巻き起こしているMMT(現代貨幣理論)の提唱者の1人、ステファニー・ケルトン教授(NY州立大学教授)が来日した。MMTは「異端の経済理論」と紹介されるとともに、これについてさまざまな見解が伝えられている。筆者は東京都内で行われたケルトン教授の講演会(7月17日)に参加する機会に恵まれたので、今回のコラムではこれを紹介したい。

MMTは「財政均衡主義」への「解毒剤」になり得る

MMTの理論は幅広い分野に及んでいるため、筆者は、MMTについて全てを十分理解しているわけでない。ただ投資家の視点からは、ある程度理解を深めることができたと考えている。

まず、MMTが異端の経済理論とされる特徴の一つは、財政赤字や公的債務の規模にとらわれずに、財政赤字を大きく増やすことが可能、と主張する点である。日本では「わが国は財政危機に直面している」という認識は半ば常識になっている(筆者自身はこの認識に極めて懐疑的である)が、この点、MMTは日本の常識とは真逆とも言える。このため多くの方々やメディアも関心を寄せているのだろう。

この点に関しては、浜田宏一内閣府参与が「ダイヤモンドオンライン」のインタビューで述べているが、筆者は「MMTは均衡財政への呪縛を解く解毒剤になる」という評価が、的確であると考えている。日本では「政府部門の借金が増えてきた」という現象や高齢化を理由に「財政健全化こそが最重要課題」と、(筆者からみれば)根拠が薄弱な見解が多くみられる。浜田氏は、筆者と同様の見解を持っているとみられるが、日本の「根強い均衡財政主義」に基づいた財政運営が過度な締め付けとなってきた、とも述べている。

その意味で、日本のような財政赤字の国で、経済成長率を高めるために、財政政策を大規模に行うことは、政策手段として取りうることを理解する一つの理屈として、MMTは解毒剤になりえるだろう。なお、筆者自身は、これまでも一般向けのコラムだけではなく、経済分野の専門書に掲載した論説などで、日本の財政問題の本質について同様の指摘を行っている。

そして、同じような問題意識は、現在金融市場の世界でもかなり広まっていると思われる。2012年後半から、欧州債務危機は収束に向かったが、これと前後して欧州で従前の厳格な緊縮財政が和らぎ、世界経済復調をもたらした。また、2017年にアメリカでトランプ政権となってから、減税を主体とする財政政策が同国の経済成長率を高めた。そして、日本同様に緊縮財政に親和的であったドイツでも、最近は僅かではあるが財政政策は拡張方向に向かいつつある。

米中貿易戦争が長期化して、世界経済の下振れリスクが高まっている中で、適切な金融財政政策によって各国は成長率を高めることができるかが、依然としてかなり重要である。実際に、財政政策の必要性を強調する著名な経済学者はアメリカでは多い。

こうした中、日本では2014年に消費増税が実現してから、財政政策は緊縮方向に転じた。増税による景気失速で、上昇していたインフレ率が低下し、その後循環的な回復は持続したがインフレ率の停滞が続いた。今後2019年10月からの消費増税で緊縮財政が再び強化されるが、各国の財政政策が緩和的になる中で、日本だけが特異な存在となる。これまでも当コラムで何度も指摘しているが、2018年から日本株アメリカ株などとの対比でアンダーパフォームしているのはこれが最大の要因だと考えている。

現時点でMMTの金融市場への影響は「ほぼゼロ」

アメリカでこの理論が注目されている背景には、2020年の大統領選挙を見据えた民主党左派の政治活動が大きく影響している。一方で同国では、共和党民主党ともに拡張的な財政政策を志向しており、議論が分かれるのは拡大する歳出の中身に移っている。

つまり、MMTによらなくても拡張的な財政政策が続く可能性が高いのである。そして、MMT論者がアドバイザーとなっているバーニー・サンダース上院議員が次の大統領になるなどのサプライズがなければ、MMTは依然としてマイノリティの考えと位置付けられるだろう。このため、MMTが、今後の世界経済や金融市場に及ぼす影響はほぼ皆無だと筆者は考えている。

ただ、財政健全化という「ある種の教条」が広がり、経済政策論争の土壌が凝り固まっている日本では、アメリカと異なる意味でポジティブな効果がいくばくか期待できるかもしれない。先に紹介した浜田氏が指摘するように、MMTの考え方が「解毒剤の一つ」となれば、世界標準に近い経済政策が日本で実現する可能性が高まるからである。