大船渡・佐々木投手起用法について思うこと

  大船渡・佐々木投手起用法について思うこと

  ーー「2位ではダメなのですか?」という日本流敗北主義の一変種ではないのか?

 プロ全球団はもちろん米メジャーも注目する、最速163キロを誇る豪速球右腕・佐々木朗希投手の岩手県大会決勝戦での起用が回避された。試合は大船渡・公式戦初登板の2投手が序盤から失点を重ね、花巻東の大勝に終わった。大船渡・國保監督に対してスタンドから「甲子園に行きたくないのか!」との厳しいヤジが発せられ、自制を促す人とのあいだで小競り合いがあり、試合終了後のスタンドは後味悪い雰囲気に包まれたらしい。大船渡高校には多数の抗議電話が殺到し、試合翌日の朝にはパトカーが出動する騒ぎにまでなったという。一夜明けた28日以降も佐々木投手起用法をめぐって、全国紙スポーツ面やテレビ番組にて賛否両論が飛び交っている。

 佐々木投手の登板経過を振り返って私見を述べたい。
 7月16日・2回戦、2イニング19球を投げて被安打0。試合は14:0で遠野緑峰に5回コールド勝ち(1回戦は不戦勝)。
 7月18日・3回戦、6イニング93球を投げて被安打1の完封。試合は10:0で一戸に6回コールド勝ち。
 7月21日・4回戦、延長戦12イニング194球を投げて被安打3失点2の完投。試合は4:2で盛岡四に辛勝。
 7月22日・準々決勝戦、佐々木投手は完全休養。試合は控え2投手の継投によって乗り切り、6:4で久慈に辛勝。
 7月24日・準決勝戦、9イニング129球を投げて被安打2の完封。試合は5:0で一関工に完封勝ち。
 なお、ここまでの出場試合、佐々木投手は打者としても4番の中軸を託されて大活躍していた。
 問題の27日・決勝戦、國保監督は先発も継投も公式戦初登板の投手を起用した。両投手ともに打ち込まれ、12:2の大差で敗退した。佐々木投手は最後までマウンドに上がらず、打者としての出場もなかった。ネット中継では試合の大勢が決したあと、しばしばベンチに控える佐々木投手の映像を流していた。苦渋に満ちた表情を見ていて、その心中は察するにあまりあった。

 上の経過から見て、國保監督の佐々木投手起用法をはじめとするゲームプランに大きな疑問を抱かざるをえない。以下、いくつかにわけて見ていく。
 1.まず、夏の地方予選トーナメントを戦い抜く戦略が國保監督には欠如していたと思う。高校野球では、たびたび「目の前の一戦に全力集中する」という言い方を聞くが、これは弱小チームの発想だ。甲子園出場を狙う有力チームの監督は、過酷な夏の短期トーナメントを乗り切るため、抽選後の日程を見て決勝戦までの戦略プランを立てるのが普通だ。そして、出場選手にチーム方針を徹底し、一体となって勝ち抜くために選手の意識を集中させる。
 大船渡の予選日程を見れば、初戦、第2戦の対戦相手は明らかに格下だ。投球感覚を掴んでおくため、初戦に短いイニングを投げさせたのは理解できる。ここを勝った段階では、前半戦の最大の難関が4回戦での予想相手・盛岡大付属戦であったはずだ。選抜出場した盛大付も大船渡戦を想定し、佐々木投手攻略作戦に絞って練習を積んできたという。國保監督は予想される実力チームとの対戦を控え、3回戦での佐々木投手登板は回避するべきであった。少なくとも、大差がついた段階での途中降板・継投はありえたはずだ。ここにまず采配への疑問点を見る。
 その4回戦、皮肉なことに対戦を想定していた盛大付が敗退するという番狂わせがあったが、佐々木投手は予定どおり登板、延長戦を辛勝した。しかしここでの投球数が194に達し、3連投の疲労が蓄積することになってしまった。
 2.準々決勝戦を佐々木投手温存で辛勝した大船渡であったが、中2日をおいた準決勝戦での佐々木投手登板にも大きな疑問が残る。それは、この試合終了後の國保監督のコメントがものがたっている。佐々木投手の「明日負けたら初戦で負けるのと同じ、(明日は)勝ちにつながるピッチングをしたい」と、決勝戦登板の意欲を語った。いっぽう、國保監督は、佐々木投手の決勝戦登板を問われ、「明日の朝の様子を見て判断する」と述べていた。つまり、場当たり的発想なのである。
 近年、高校生投手の登板過多が問題視されて、地方予選でも準々決勝戦のあとは一日休養日を設けている。これは選手の休養という点で前進だ、そして、監督には頂点へ到達するためのプランを練り直す一日という意味でも重要なのだ。この時点で監督が考えるべき最重要課題はエースの起用法であろう。投手陣の能力や疲労程度、準決勝戦の対戦相手、決勝戦の想定対戦相手の力関係などを考慮すれば、さまざまなケースがありうる。考えられる可能性を検討して、総合的判断から決断した作戦意図を全選手に徹底しておく、これらは監督にとって休養日の重要な仕事だ。今年の岩手県大会準決勝以降のケースでは、準決勝の相手より、想定される決勝相手・花巻東のほうが遥かに難敵なのは誰が見ても明らかだった。佐々木投手の疲労を考慮するというなら、まず準決勝戦の登板を回避して、中3日をおいての決勝戦登板を選択するべきであったと思う。
 3.結果はすでにご承知のとおりである。大船渡は準決勝で佐々木投手が完投、5:0で楽勝した。しかし、翌日の決勝戦では公式戦初登板の2投手が先発・継投したが、強豪・花巻東に通用する筈はなく、士気低下によるエラーも重なって前半戦で大差がついて敗退、大船渡のひさびさの甲子園出場は夢に終わった。

 すでに相当長くなったが改めて整理しよう。
 國保監督は佐々木投手登板回避の理由を以下のとおり語っている。「投げられる状態であったかもしれませんが、故障を防ぐために私が決断しました。未来を先に知ることはできませんが、私としては勝てば甲子園というすばらしい舞台があるのはわかっていたのですけど、プレッシャーの中で投げる今日の試合が、いちばん、壊れる可能性が高いと思って、(投げさせるという)決断はできませんでした」
 上のコメントを受けて、「日本流の根性論や精神論ではなく科学として野球をとらえる」視野の広い判断だとして賞賛する向きがある。こうした判断は、國保監督が筑波大学体育専門群で学んだあと、アメリ独立リーグでプレーした経験から生まれたのだと指摘する。また、あるジャーナリストは「(高校野球実力チームの)指導者が、勝利よりも選手の健康を優先した初めてのケース」だと評価していた。
 わたしの見方はまったく違う。國保監督が岩手県予選で見せたものは、「日本流精神論」の単純な裏返しと戦略観の欠如であったと思う。そこには、「2位ではダメなんですか」といった、敗北主義的発想と通底するものがあるように思われる。
 まず、佐々木投手の準決勝までの総投球数は435、これは客観的データに照らしてけっして過剰な数字ではない。この投球数が佐々木投手の限界だと言うなら、194球も投げたあと、中2日しかあかない準決勝で登板させた理由がわからない。「プレッシャーの中で投げる今日の試合が壊れる可能性がいちばん高い」とも語っていたが、これではまるで佐々木投手は精神的に弱いと評価するのと同じではないだろうか。
 次に、國保監督を評価する二つ目の理由、「…初めてのケース」云々は事実と異なる。智弁和歌山の高嶋元監督は、相当以前から複数投手起用策を採用して、選手の健康管理配慮を前提にトーナメントを勝ち抜く方針を徹底していた。現在、同様の方針が加速的に広がっている。
 國保監督は確信に足る根拠を持って佐々木投手の決勝戦登板回避を〈決断した〉のではなく、当日まで迷いながら、そのコメントのとおり、登板を〈決断できなかった〉のである。これはことばの綾ではなくて本質論として重要なところだ。野球の指導者には企業経営者に求められることと同様の資質が必要だと思う。その重要な点のひとつは、さまざまな要因を考慮して最終的に〈自信を持った決断〉を示すことだと思う。〈決断できない自信のなさ〉はチームや組織に士気の低下や動揺など、マイナスの影響をおよぼすのは自明だ。
 サンデーモーニングに出演した張本勲氏は「ケガが怖かったら、スポーツはやめたほうがいい」と語って物議をかもした。少々乱暴な言い方だったので國保監督を擁護する立場からの批判にさらされたが、張本氏の言は正解だと私は思う。企業経営に置き換えて考えれば明らかだ、リスクを取らない経営方針に進歩・発展はないのだ。
 駒大苫小牧田中将大投手はエースとして甲子園連続出場を果たし、3年生の夏には決勝戦引き分け後の再試合も投げぬいた。その後、プロ野球楽天を経て米メジャー・ヤンキースに6年間在籍し、エース格として活躍を続けている。またいっぽう、沖縄水産大野倫投手は右ひじの故障を持ちながら、甲子園大会決勝戦までひとりで投げきって持病が悪化、プロ野球入団後は投手として大成できなかった。ともに高校野球ファンを沸かせた両人は、甲子園で身体的にも精神的にも佐々木投手とは比較にならないほどの過酷な体験をしている。共通する体験を経た二人のその後は対照的だった。だが二人とも現在はそれぞれの方面で活躍中である。また、人は身体的な原因だけで「壊れる」わけではない。精神的に「壊れる」可能性だって十分ありうるのだ。甲子園出場をかけた試合に登板できると思っていたのに制止された佐々木投手、また、大事な一戦に公式戦初登板して打ち込まれた二人の投手、ベストの布陣を構えることなく甲子園出場を逃した全選手たち、國保監督は彼らの心情をどう考えただろうか。
 確かに、誰にも「未来を先に知ることはできない」。だからこそ、指導者の決断の仕方が意味を持ってくるのだ。トーナメントでは最後まで勝ち抜くのはひとつのチームだけだ。可能なかぎり納得できる方策を選択するのが指導者の責務である。指導者が責任を負うことを怖れて、決断を回避するところからは何も生まれない。技術的指導力や健康管理能力、試合ごとの采配能力は指導者に必要な前提能力だろう。その上に求められるのはチームに適した戦略の確立や決断力、方針をチームに浸透させる説得力だろう。残念ながら、國保監督には後者が欠如していたと言わざるをえない。
 スポーツの隆盛衰退は国力を映す鏡だと言われる。戦略なき場当たり主義や決断なき静観が負の作用をまねくのはスポーツの場合に限らない。今回の佐々木投手登板回避をめぐる論議のなかに、いかにも「日本流の」弱点が目立ったので長々と記したしだいである。
 論点を明確にするため、國保監督には少々酷な言い回しをしたことをお詫びし、まだ若い氏が、さまざまな意見に耳を傾けて指導者として大きく成長されることを期待する、あわせて、すでにプロ野球入団の意思を表明している佐々木投手の更なる活躍を祈って論を締めくくる。
 (再読すると、繰り返しの多い駄文でしたが手間を省くためにきっちりした推敲をせずに掲載しました。最後まで読んでくださったかたに感謝いたします)
 (以上文責、h-tomiyama)

 

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  http://www.asyura2.com/09/news8/msg/1145.html (阿修羅掲示板より)