日常研究会 第2回例会案内

映画に「日常」を探してみよう

日時:2019年11月10日(日)午後3時~午後6時
会場:高槻南スクエア(阪急高槻駅南すぐ)
参加費:500円 (ただし課題を持ってきた人は無料)
課題:「映画に「日常」を探す」

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ベラスケス 「侍女たち」

 「日常を切り取ってみよう」という前回のテーマで、私たちは「日常」を切り取ることが意外と困難であることがわかりました。そこらに転がっていそうな「日常」ですが、いざ「The 日常」なるものが、例えば生活のスナップ写真に写っているかと問われると、詰まってしまいます。記念写真は、どちらかと言えば日常的でない出来事を映しています。日常の光景は見慣れていますから、わざわざ写真などに残しません。
 デジタル化によって写真や動画を簡単に残せるようになり、スマホで撮って、インスタやYoutubeにアップしたりする映像や写真があふれていますが、「日常」を見つけることは困難です。映したい像を目立たせるために背景はカットしたり、フレームの外に置かれますから映らないのです。雑然とした室内にいる自分を自撮りしてYoutubeに載せたりしませんよね。生活が見えてしまって自分を全部さらしてしまうことになりかねません。しかし、それを敢行したとして、そこに「日常」を拾えるでしょうか? 誰それの生活の断片が垣間見えるだけなのではないでしょうか。
 絵画はどうでしょう。キャンパスに描こうとした「図」だけがある絵もあるのでしょうが、「地」を描かないわけにはいきません。キャンパスに画家は「図」を描こうとすれば「地」を描かざるを得ないわけです。その絵を鑑賞する者たちも画家たちの頭のなかにイメージされましょう。例えばフーコーは『言葉と物』の冒頭から、ベラスケスの絵「侍女たち」の読解をやっています。その絵を見ている私たちの「世界」や「日常」を記述しようとしているかのようです。
 「図」だけ見て写真を撮っている私たちには、「地」はしばしば邪魔者に過ぎませんが、芸術家たちは描こうとする絵に「世界」を込めようとするのでしょうか。日常は「地」です。日常を読み取るには芸術的センスを必要としましょう。
 絵画の読解によって「日常」を読み取るのは難しそうですので、映画でやってみましょう。どんな映画でもいいので、その映画から「日常」を読み取ってみましょう。日常はどんな姿をしているでしょうか。日常はどんな属性を持っているのでしょうか。日常の強さや弱さ、また日常に介入する物たちにはどんなものがあるでしょうか。かつて日常はどんな顔をしていて、今、日常の顔はどんな表情をしているのでしょうか?(課題:映画に「日常」を探す)
 「日常」はすぐそばに住んでいても、なかなかとらえにくい怪物です。あれこれの雑談のなかでひょっこり顔をのぞかせるかも知れません。

  ☆ 課題を事前に送っていただければ、当日用意します。
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「読む!倶楽部」(日常研究会)
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