佐高信×早野透+平野貞夫、鼎談。関電2.26事件、積年の「闇」ほか

佐高信×早野透平野貞夫の3ジジ放談】関電2.26事件、積年の「闇」ほか

https://www.youtube.com/watch?v=uqhFQMtAgSg

41分10秒ころから平野さんが「安倍首相を内乱予備罪で刑事告発」のその後を説明しています。

山本太郎も信奉するMMTの伝道者・ケルトン教授が説く「ジョブ・ギャランティー・プログラムプログラム」とは?(「exciteニュース」より転載)

7月16日、東京・永田町の衆議院会館で行なわれたケルトン教授の講演会にはマスコミ関係者のみならず、一般人も多数参加していた

 

消費税廃止!」「奨学金をチャラに!」といった、山本太郎の「れいわ新選組」が掲げる経済政策のベースには「MMT」という新金融理論がある。7月16日、このMMTを世界に広めている経済学者、ケルトン教授が来日!

都内の講演会で彼女が日本経済の窮状を救う手として紹介したのが「ジョブ・ギャランティ・プログラム」というMMTを基にした雇用保証政策だ。どんな政策? マジで日本経済に効くの? じっくり解説します!

ケルトン教授の講演会に、突撃!

戦後2番目の低投票率が象徴するように、しらけたムードで終わった夏の参議院選挙。そんななか唯一話題を集めたのが山本太郎率いる「れいわ新選組」(以下、れいわ)と、「NHKから国民を守る党」というふたつの新政党が比例区議席を獲得したことだろう。

特に、山本太郎のれいわが掲げた公約のなかには「消費税廃止」や「全国一律で最低賃金1500円を政府が保証」「公務員を増やして景気と地方を活性化」「必要な公共事業で国土強靱(きょうじん)化」、さらには「国がひとり、月3万円を給付してデフレ脱却」といった大胆な経済政策がズラリと並んだ。

こうした主張が一部の有権者の支持を集めた一方、「消費税まで廃止とか言いながら、ずいぶんと景気のいいバラマキ政策並べてるけど、財源はどーすんだよっ!」という厳しいツッコミもある。

山本太郎も信奉する新金融理論MMTの伝道者・ケルトン教授が説く「ジョブ・ギャランティ・プログラム」とは?

だが、そんな「批判」に対して山本太郎が主張するのが「日本は独自の通貨を発行していて、国債も自国通貨建てだから、インフレ率(物価上昇率)が2%程度の範囲内であれば、財政赤字が拡大しても国は破綻などしない」という考え方だ。

むしろ「必要なら赤字国債を発行してでも積極的な財政政策を行ない、日本経済と国民の生活を立て直すべき!」というのが、れいわの訴える経済・財政政策の基本である。

実はこれ、最近、話題の新たな経済理論、「MMT(現代貨幣理論)」に、そのまんま乗っかった主張だと言って間違いない。

ただし、与野党が「財政赤字の削減」や「プライマリーバランスの黒字化」の必要性を訴えてきたようなこれまでの国会での議論とは180度異なるMMTの主張に対して、多くの著名な経済学者も異論や批判を展開しており、その評価は賛否両論である。

そんななか参院選の選挙期間中にMMTの提唱者のひとりとして注目されるニューヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授が来日。7月16日、MMTに関する講演を行なった。

そこで『週刊プレイボーイ』も同日に東京で行なわれたケルトン教授の講演と記者会見に出席してみたのだ。

講演後の会見では日本経済新聞や読売新聞、ロイターといったマジメなメディアを差し置いて、なぜか本誌が3番目に質問を許されて周囲がザワつくという珍事(?)もあったが、一応、教授から「ベリー・グッド・クエスチョン」と言われたのでご容赦を(汗)。

■「完全雇用」を実現する政策

では、ケルトン教授の講演で何がわかったのか? MMTの根幹である「そもそも貨幣(お金)とはなんぞや?」という難しい理屈は置いといて、まずはこの日、ケルトン教授が語った重要なポイントをザックリまとめてみよう。

(1)MMTは「政府が財政赤字を無視して、いくらでもお金を使っていい」とは言っていない。あくまでも「適正なインフレの範囲内で」が条件で、インフレが適正範囲を超えたときには金融政策はもちろんのこと、支出の抑制や増税で抑える。

(2)「政府の赤字は民間部門の黒字の裏返し」だと考えれば、「財政赤字≒悪」ではない。むしろ、デフレ時には積極的な政府支出を活用することが経済政策として効果的だ。

(3)MMTの限界である「適正なインフレの範囲」や「過剰なインフレをコントロールする具体的な方法」については、国や状況によって異なるので特定の答えはない。(←コレが本誌の質問への答え)

(4)MMTは「財政赤字≒悪」という従来の考え方から離れ、より積極的で柔軟な財政政策を可能にする「発想の転換であって、政治的にはリベラル派、保守派、どちらの立場でも活用できる。

......と、まぁ、おおむねこんな感じだろうか。

その上で、今回、本誌が注目したのが、ケルトン教授が講演のなかで紹介した「MMTを前提とした具体的な財政政策」のひとつ「ジョブ・ギャランティ・プログラム/Job Guarantee Program(雇用・所得保証制度。以下、JGP)」である。

これは「完全雇用状態」を実現するために「働く気があるのに、仕事がない人」を政府が無条件で雇って仕事を与え、法律で定められた最低賃金を一律に保証するという、これまた大胆な政策だ。

「これにより失業率はゼロになって、政府はその人たちを公共事業や介護・保育など、社会が必要とする分野の労働力として活用できる」ケルトン教授は言う。

また、その際に最低賃金での雇用を保証することで、民間の賃金水準も自動的に"最低賃金レベル"まで底上げされ、景気が上向けば、JGPの保証する最低賃金よりも高い賃金を求めて民間へと労働力が移動するので「景気変動に対応して働く『自動調整弁』としてもJGPは非常に有効です」(ケルトン氏)という。

となると、参院選でれいわが訴えた「全国一律! 最低賃金1500円を政府が保証」や「公務員を増やして景気と地方を活性化!」といった政策も、このJGPに近い発想だと考えてもよさそうだ。

■失業率の低い日本にJGPは必要か?

ちなみにケルトン教授は、2020年のアメリカ大統領選に立候補を表明しているバーニー・サンダース上院議員の経済政策アドバイザーを務めており、同氏の政策プランのなかにも、このJGPが盛り込まれているという。

確かに、失業しても政府が確実に雇ってくれるのなら、誰でも最低限の仕事と収入は保証されるし、将来の失業不安から解放されれば、その分、個人消費が伸びて経済にとってもプラスかもしれない。

でも、ちょっと待て! 最新の完全失業率(2019年6月)がわずか2.3%で、失業問題よりも「人手不足」が深刻な問題となっている今の日本で、そもそも「完全雇用」を目的としたJGPなんて必要だろうか?

それに、失業者は政府が無条件に雇用するといっても、政府にそれだけの「仕事」があるとは限らない。また、現実として、そんなに都合よく政府の雇用を増やしたり減らしたりできるモノだろうか?

ケルトン教授が話されたような、政府による直接雇用の形でJGPを日本に適用するのは、そのままでは難しいかもしれませんね」

そう語るのは、国内のMMT論者のひとりで、今回のケルトン教授の日本招聘(しょうへい)に尽力した京都大学藤井聡教授だ。

「国や地方の公務員として直接雇用することもできるかもしれませんが、それよりも例えば介護や保育など、社会的なニーズが高い民間の雇用に対して、政府が賃金の一部を補填(ほてん)する形で最低賃金を保証すれば『本当に必要な仕事なのに賃金が安くて人が集まらない』という問題を解決できるようになるでしょう。

また、全国一律で最低賃金を定めて、賃金の安い地方の不足分を政府が補填すれば、広がり続ける深刻な地域間の格差問題を是正することにつながります。

もちろん、こうした政策は『雇用保証』というよりは『賃金保証』ですが、JGPはそもそも完全雇用だけでなく賃金も保証するもの。そしてこうした積極財政で国民全体の賃金が底上げされれば、人々の将来不安を減らして経済が上向く効果もあります。

それに、公共事業や、社会保障分野、文化事業でも構いませんが『社会が必要とする分野』や『この国の将来に資す分野』に対して、政府が賃金保証制度を適用することで、単純な採算性や市場原理に委ねるのではなく、より公共性の高い"本当に必要な分野"を政策的に守るための手段にもなるのではないでしょうか」

とはいえ、これらの政策すべては、その財源の根拠となる「MMTが正しければ」というのが大前提で、その真偽については、正直、シロートじゃ判断できない。

また、政府の直接雇用じゃなく「一部の業種を対象とした賃金保証」を行なうとなれば、当然、その対象となる「業界」と「政治」の関係が問題になるわけで、この国の政治の透明性や信頼性に疑念があれば、せっかくの財政政策が単なる利権と化してしまいかねない。

そう考えると、この日本で財政政策としてのJGPやそれに類する「賃金保証」を実際に行なうのは、決して簡単ではなさそうだ。

ただ、同じように政府が「社会的なセーフティネット」、つまり、同じ最低生活保障としてお金をばらまく政策でも、働いていても働いていなくても、そして貧富の差にも関係なく一律にお金が支給される「ベーシックインカム」の考えと比べると、誰もが必ず仕事を得られて、最低賃金レベルであっても仕事の対価として政府から賃金を得る仕組みのJGPのほうが、より多くの国民の納得を得やすいだろう。

この先、MMTを前提としたれいわの経済政策はどう展開されるのか? そして次の衆院選での野党共闘に向けて彼らに大きな注目が集まるなか、野党各党の動きも気になるところだ。

アメリカを中心に賛否両論の嵐を巻き起こしている新金融理論「MMT」とは?
「Modern Monetary Theory」(モダン・マネタリー・セオリー、現代貨幣理論)の略称。米ニューヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授らが主唱者の、今世界で注目を浴びている金融理論。その中身をざっくりと言うと「独自の通貨を持つ国の政府は、通貨を限度なく発行させることができるので、財政赤字がいくら膨らんでも債務不履行(デフォルト)に陥ることはない。だから、ある程度のインフレを実現するまで、公共投資や福祉政策の充実などに、政府はどんどんお金を使う(財政拡大)べき」という考え方

取材・文/川喜田 研

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

10月、読書会の案内

             乙訓読書会 例会案内

 テーマ:陰謀論、その源流と現在
 日時 :2019年10月19日(土)午後3時~午後6時
 会場 :高槻南スクエア(ファイブプラザ4F、阪急高槻駅南すぐ。TEL:072-674-1648)
 参加費:500円
 参考図書:とくにありません(簡単なレジュメを用意します)
 話題提供:主催者より
 連絡先:メール〈for.your.eyes.only-2012.by.ht@ezweb.ne.jp〉
                      TEL   090-3843-5823 

 以下は、『世界陰謀全史』(海野弘)のプロローグからの引用です。
 《なぜ陰謀論は決してなくならないのか。おどろおどろしい陰謀論は、とっくの昔に滅んでしまったはずなのに、いつでもよみがえってくる。フリーメイソンテンプル騎士団、薔薇十字団などは、すでにお伽話の世界ではないだろうか。だがそれについて繰り返し新しい本が書かれ、いや、それらは生きている現実のものだ、と主張するのである。
 陰謀論がなくならないのは、現代世界に霧がかかり、はっきり見えなくなっているからではないだろうか。私たちはそれをはっきり見たいと思い、そのための眼鏡を必要とする。その眼鏡のひとつが陰謀論なのである。もちろんそのような眼鏡はひとつではなく、さまざまなものがある。フリーメイソンが見えるのがフリーメイソン眼鏡だ。それぞれの眼鏡には、ある偏向が仕掛けられている。薔薇十字団の偏向を持つ眼鏡なら、薔薇十字団風に世界が見える。その偏向は、スマホ用語でいえば〈アプリ〉ともいえるだろう。ゲームは情報などの世界に、そのアプリを持って入っていける。陰謀論も一種のアプリであり、それによって、世界を陰謀論風に解釈することができる。
 世界は謎である。世界は秘密と陰謀に満ちている。そのような世界を解読したい、はっきり見たいと思う時、陰謀論というアプリが必要となる。世界は雲で覆われて見えにくくなり、それを見たいと思う人がいるかぎり、陰謀論はなくならないのだ。》
 以下、主催者より。
 第二次大戦後の20世紀、最大の陰謀的事件と言えば、やはり、ケネディ暗殺事件であろう。1963年11月18日午後12時30分、ケネディ大統領がテキサス州ダラスで狙撃された。80分後、狙撃現場とは別の場所でオズワルトが別件逮捕され、ケネディ暗殺は彼の単独犯行とされた。一週間後、オズワルトは郡刑務所移送の際、ジャック・ルビーというナイトクラブ経営者によって射殺された。オズワルトの犯行動機は定かではなく、ルビーの動機は大統領遺族に同情して仇をとっただけだとされた。まるで、大都市で日常的に発生する、ごく普通の殺傷事件のような絵図である。こんな説明がどうにも受け入れ難いのは当然で、世論調査によると、アメリカ人の8割以上が政府公式見解・ウォーレン報告を信じていないという。以後半世紀、アメリカでは大事件が起こるたびに陰謀論的解釈が隆盛をきわめ、海野氏は「大陰謀時代の到来」と命名している。
 陰謀論の起源は古く、裾野は広い。今回は、9.11アメリカ同時多発テロ事件など、現代の主要な陰謀論的解釈を取りあげ、あわせて「文化としての陰謀論」についても考察してみたい。フリーな感想の交換によって、「霧にかかった世界」の向こう側が少しは見えてくるかもしれないと思う。

安倍晋三を内乱予備罪で刑事告発、その後の経過(『メルマガ 日本一新』より転載)

◎「日本一新運動」の原点―445
 
                  
            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

〇 時局妙観

 安倍晋三氏を内乱予備罪で刑事告発して、一年という歳月が過
ぎた。御支援をいただいている方々から「どうなっているのか」
との声が、参議院選挙が終わった頃から寄せられていた。様子を
見るしか仕方がなかったが、8月に入って動きが始まった。山口
弁護士と相談して、9月26日に、これまでの経過を報道機関や
ネットで市民の方々にお知らせした。

安倍晋三氏内乱・同予備罪告訴・告発その後について)

1)ご承知の通り、私共は2018年9月7日に安倍晋三氏内乱・
同予備罪で告発状を最高検察庁検事総長に提出し、以降、告発理
由補充書第三まで追加して参りました。

2)これに対して、2018年10月10日に最高検察庁より、
犯罪事実が判然としないことや、告発状と資料のコピーはとった
ので原本は返送するとの連絡がありました。そこで私共は補充書
で抗議を続けたところ、本年8月9日、最高検察庁公安事務課担
当者から「告訴・告発状等の原本を再度提出されたい」との要請
がありました。要請に従い8月28日に、所要の書面と上申書等
を提出しました。

3)最高検察庁から、9月11日付文書で、私共の告訴・
告発事件を正式に東京地方検察庁に回送したと通知を受けました。

4)以上の手続から「安倍晋三氏内乱・同予備罪告発」について
は、今後、東京地方検察庁で慎重に検討されることになりました。

5)安倍政権の独裁政治と欺瞞行政は果てを知りません。

 私共は今後とも、告訴・告発理由を補充し、東京地方検察庁
本件を正式に受理し、捜査を開始することを求めていきますので
注目とご協力を心からお願いいたします。

東京地方検察庁から届いた『処分通知書』)

安倍晋三氏内乱同予備罪告訴・告発その後」を、各報道機関や
市民に発信した2日後の9月28日、東京地検の担当検事から、
「貴殿から告発のあった次の被疑事件は、下記のとおり処分した
ので通知します」という『処分通知書』が届いた。そこには、

1)被 疑 者  安倍 晋三 
2)罪 名 内乱首謀、内乱予備首謀 
3)事 件 番 号 令和元年検第24037号 
4)処分年月日  令和元年9月27日 
5)処 分 区 分 不起訴              
と記されていた。

この『処分通知書』には、驚くなんてものではなかった。これ
から東京地検で受理するかどうか、検討するだろうと思い込ん
でいたためだ。

 そこで私共告発人はこの「処分通知」にわからない部分があり、
「不起訴処分への申入書」を、本日(10月3日)、東京地検
担当検事に提出した。
 「申入書」は、①これまでの経過、②質問、③不起訴処分に関
する疑問、で構成されている。
 ここでは、②質問、の要点を記載しておく。
?告発に対して、被疑者を特定し、事件番号を付しての通知書で
ある。告発を正式に受理し、正式に検討の結果で不起訴処分をし
た理由とする。そこで、正式受理は、最高検が告発状を再度受け
たときか、東京地検が、最高検から回送を受けたときか。

?不起訴処分には罪とならず、嫌疑無し・嫌疑不十分・起訴猶予
などがあるが、どの類型に入るのか。

 昨年九月、私共が安倍晋三氏を内乱予備罪で告発した際、多く
憲法学者は「法制度の想定外であり、告発の受理などあり得な
い」と嘯いていた。憲法99条(尊重義務)は倫理的宣言規定と
いうのが一般的だったからだ。
 私共の告発を正式に受理したことを明確に検察当局が認めるこ
とになれば、否、認めざるを得ないと思うが・・・・。総理とい
えども刑法77条(内乱罪)等の告発対象となることの先例とい
える。
 今後、安倍首相や権力側が「憲法の基本秩序を壊乱する暴動」
を画策しようとする場合、それを起訴することもできることを国
民に示したことになる。私共告発人は、「申入書」の回答をしっ
かりと検証していく。
 問題は国会やマスメディアの対応である。ここまで来ても「見
ざる聞かざる言わざる」を続けるなら、日本国の存立は不可能と
いえる。まず、臨時国会で十分な追求と論議をすべきだ。安倍内
乱罪などでの刑事告発は「不起訴」で終わりではなく、国民の力
で「起訴」へ向かうスタートとなったのだ。      (了)

  関連記事 当ブログ6月1日掲載「平野貞夫氏が安倍首相を内乱予備罪で告発した理由」

 

日常研究会 第2回例会案内

映画に「日常」を探してみよう

日時:2019年11月10日(日)午後3時~午後6時
会場:高槻南スクエア(阪急高槻駅南すぐ)
参加費:500円 (ただし課題を持ってきた人は無料)
課題:「映画に「日常」を探す」

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ベラスケス 「侍女たち」

 「日常を切り取ってみよう」という前回のテーマで、私たちは「日常」を切り取ることが意外と困難であることがわかりました。そこらに転がっていそうな「日常」ですが、いざ「The 日常」なるものが、例えば生活のスナップ写真に写っているかと問われると、詰まってしまいます。記念写真は、どちらかと言えば日常的でない出来事を映しています。日常の光景は見慣れていますから、わざわざ写真などに残しません。
 デジタル化によって写真や動画を簡単に残せるようになり、スマホで撮って、インスタやYoutubeにアップしたりする映像や写真があふれていますが、「日常」を見つけることは困難です。映したい像を目立たせるために背景はカットしたり、フレームの外に置かれますから映らないのです。雑然とした室内にいる自分を自撮りしてYoutubeに載せたりしませんよね。生活が見えてしまって自分を全部さらしてしまうことになりかねません。しかし、それを敢行したとして、そこに「日常」を拾えるでしょうか? 誰それの生活の断片が垣間見えるだけなのではないでしょうか。
 絵画はどうでしょう。キャンパスに描こうとした「図」だけがある絵もあるのでしょうが、「地」を描かないわけにはいきません。キャンパスに画家は「図」を描こうとすれば「地」を描かざるを得ないわけです。その絵を鑑賞する者たちも画家たちの頭のなかにイメージされましょう。例えばフーコーは『言葉と物』の冒頭から、ベラスケスの絵「侍女たち」の読解をやっています。その絵を見ている私たちの「世界」や「日常」を記述しようとしているかのようです。
 「図」だけ見て写真を撮っている私たちには、「地」はしばしば邪魔者に過ぎませんが、芸術家たちは描こうとする絵に「世界」を込めようとするのでしょうか。日常は「地」です。日常を読み取るには芸術的センスを必要としましょう。
 絵画の読解によって「日常」を読み取るのは難しそうですので、映画でやってみましょう。どんな映画でもいいので、その映画から「日常」を読み取ってみましょう。日常はどんな姿をしているでしょうか。日常はどんな属性を持っているのでしょうか。日常の強さや弱さ、また日常に介入する物たちにはどんなものがあるでしょうか。かつて日常はどんな顔をしていて、今、日常の顔はどんな表情をしているのでしょうか?(課題:映画に「日常」を探す)
 「日常」はすぐそばに住んでいても、なかなかとらえにくい怪物です。あれこれの雑談のなかでひょっこり顔をのぞかせるかも知れません。

  ☆ 課題を事前に送っていただければ、当日用意します。
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「読む!倶楽部」(日常研究会)
http://nanbook.com/deschool/
Mail:k-michio@nanbook.com
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【ご参考】「日本経済の嘘と真実」、「MMTポリティクス」 (三橋 貴明氏)

 id:deschoolman  
 ご参考--自民党議員の勉強会?
日本の未来を考える勉強会、「日本経済の嘘と真実」(2017年12月5日)、その続き「MMTポリティクス~現代貨幣理論と日本経済」(2019年5月17日)
 講師:経済評論家・株式会社経世論研究所代表取締役社長 三橋 貴明氏

https://youtu.be/aWh8iXGgQ4c((2017年12月5日)

下記は2019年5月のもの

www.youtube.com

「已む」読めなかった? 安倍首相が歴史的儀式で驚きの大失言(AERA 2019年5月20日号)

 

 4月に行われた「退位礼正殿の儀」歴史的な儀式での、安倍首相の失言が世間を騒がせた。ミスは誰にでもあるが、それを防ぐ準備は十分だったのか? 首相の姿勢が問われる。

*  *  *
 4月30日、「退位礼正殿の儀」で、安倍晋三首相はおそらく歴史に残る大失言をしてしまった。それが起きたのは「国民代表の辞」のほぼ末尾だ。

天皇、皇后両陛下には末永くお健やかであらせられますことを願っていません」

 これでは、国民の大多数の願いとは全く逆だ。

 文書として公表された「国民代表の辞」には当然、「願ってやみません」とある。なぜこんな間違いが起きたのか。動画で確認すると、安倍氏は懐から出した文書を読み上げたのだが、「あられますことを願って」まで進んだところで一瞬口ごもり、その後で「あらせられますことを願っていません」と発言していることがわかる。

「願ってやまない」の「やむ」は「已む」と書く。「己」や、十二支の「巳」と紛らわしい字ではある。安倍氏が手にした原稿では教養のある官僚が漢字で書いていたため、なんと読むかためらって、「願っていません」と言ってしまったのではないかとも思われる。

 安倍氏は2017年1月24日、参議院本会議で蓮舫議員に対し「訂正でんでんという指摘は全く当たりません」と答弁した。これは「云々」を、「伝々」と誤って覚えていたようだ。もし「国民代表の辞」の原稿にひらがなで「願ってやみません」と書いてあったのに「願っていません」と言ったのなら、安倍氏は「願ってやまない」という言葉を知らないほど語彙が乏しいのか、意図的に変えたのか。どちらも少々考えにくい。

 当意即妙が求められる国会答弁なら「でんでん」も笑い話で済むが、今回の舞台は憲政史上初の儀式だ。その重要な場で国民を代表し、天皇、皇后両陛下に直接あいさつをするのに、下読みも十分にしなかったなら、怠慢の極み。皇室に対する敬意を欠いていると言われても仕方が無いだろう。

 だがテレビや翌日の新聞は、公表された原稿の内容を伝え、言い誤りはほとんど報じなかった。記者が聞き耳をたてず、発表文書に頼る風潮を示しているように感じられる。

 私が5月3日に動画サイト「デモクラ・テレビ」の討論番組で「あきれた失言」と話すと、他の出演者は「それは初耳」と驚いていた。その後、右翼団体一水会」が6日ごろからインターネットで批判を始めるなど、言い間違いへの非難は徐々に広がっている。

 このように趣旨が逆転する失態が起きた例としては、1899年5月24日の読売新聞社説がある。原稿には「全知全能と称される露国皇帝」とあったのが、「無知無能と称される露国皇帝」と誤植された。主筆が毛筆で右肩上がりの崩し字を書いたため「全」が「無」に見え、活字を拾う工員が間違えたのだ。国際問題にもなりかねず、同紙は訂正号外を出し、ロシア公使館に釈明、陳謝して事なきを得たという。

 1631年にロンドンで発行された「姦淫聖書」事件も有名だ。十戒の一つ「汝姦淫すべからず」の「not」が脱落し、「姦淫すべし」となっていた。教会は組織をあげて回収、焼却したが、残った数冊は今も珍書として高価で取引される。出版元の主は300ポンド(現在の価値で1500万円に相当か)の罰金を科されたが支払えず、投獄され獄死したという。

 戦前の日本では皇室に対する不敬罪があり、「天皇陛下」を「階下」と誤植して出版禁止の行政罰をうけた出版社もあった。新聞社は「天皇陛下」の4字を一つにした活字を作るなどして過失の防止に努めた。幸い、今の日本には不敬罪はないが、国民を代表しながら「未曽有」の失言をしたのはなぜなのか。安倍氏はそのいきさつを国民に釈明するべきだろう。(ジャーナリスト・田岡俊次
 (AERA 2019年5月20日号)